sakatori[sm]

痛み分け

未成年の飲酒・喫煙描写を含みます。直接的な性描写はありませんが、R18作品として収録されていたので、実年齢18歳以上の方のみ閲覧してください。

 家賃が安いという理由で警戒区域近くのマンションを選んだが、そう悪くない選択だった。おかげで三門に引っ越してから夜空を眺めるのが好きになった。
 最初はベランダのフェンスにもたれかかって外を見ていたが、もっと長い時間いられるように安物のスツールを買った。煙草を吸うようになると室外機の上に灰皿を置くようになった。酒と煙草が合うと感じるようになってからはここで酒を飲むようにもなった。
 ぐらつく椅子で上半身を揺らすのがいつからか癖になっていた。ずっと雨曝しになっていたスツールの足が錆びているのだ。座り心地はよくないが三年使った思い入れがある。それにどうせ地元に帰るときに処分するからこれで我慢する。あと少しだけの相棒だ。
 ライトアップされたボーダー本部基地は不夜城めいているのに周囲に一切光がないせいでこの巨大な建物以外の文明が滅んでしまったような錯覚に陥る。安っぽいSF映画のような光景。
 放置された建造物に人工的な灯りはなくただ自然光に照らされるだけだった。ビル群に木霊する銃声。花火のように煌めく光。土砂崩れのように倒壊する家屋。マンションの五階の視野なんてたかが知れているが、建物と建物の間から流れてくる警戒区域の空気を感じるのが好きだった。
「今夜は静かだろう。嵐山隊が防衛任務に就いてるんだ。彼らは放置された建物でもあまり壊したがらないんだ。真面目だよね、さすが三門のヒーローだ」
「逆にすぐ壊す奴もいるのか?」
「いるよ。イコさんはいい壊しっぷりだね。きみにはイコさんより太刀川さんのほうが分かりやすいかな。あの人も豪快にぶった切るよ」
 隣からくすくす笑う気配がした。一彰はベランダフェンスに両腕を乗せてまっすぐ警戒区域のほうを眺めていた。
 太刀川慶。定期的に放送されるボーダーの特番の顔であり、おそらく日本で一番有名なボーダー隊員だ。癖のある髪型、落ち着いた雰囲気、黒のロングコート、そして二本の刀。これらが合わさると、フィクションのキャラクターのようで忘れがたいのだ。知的な顔立ちと普段の言動にギャップがあるところもはっきり記憶に残る。
「あの刀はおまえも使ってるんだよな」
「うん、弧月は左手。スコーピオンは右手」
「おまえ、防衛任務のシフトや武器の話とかよくしてるけど、守秘義務とかないのか?」
 ボーダー隊員が退役するとき記憶を消去されるとまことしやかに噂されている。また、近界民を見た市民はボーダー隊員に連れ去られて記憶を消去されるとも。
「まさか。中高生が主力、小学生もいるのにそんな統率が取れるわけないだろう。ぼくたち子供にも守れるような緩いルールしかないよ」
 一彰がくっくと肩を震わせて笑う。ファミレスに行くとボーダー隊員らしい学生たちがランク戦や訓練の話をしているのを見るから確かにそうなのかもしれない。中の事情を知らない俺には真偽の判別ができない。
「それよりさ。煙草を吸うのは珍しいね。どういうとき吸いたくなるんだい?」
 一彰がくるりとこちらを振り返る。俺は吸いかけの煙草を灰皿に置いた。テーブル代わりの室外機にはコップ一杯の日本酒もあった。未成年の前で酒や煙草をやるつもりはなかったのに、勝手に一彰がベランダに出てきたのだ。
「疲れたとき、ムカついたとき、悲しいとき、寂しいとき。警戒区域見てたらさ、あいつらは頑張ってるんだなあって思って俺なんかが落ち込んでられなくなる」
「それなら今は機嫌が悪いんだ? せっかく久々の逢瀬なのに贅沢だね」
「おまえはもう眠ったと思ったから吸いに来たんだよ。高校生がいる場所じゃないからほらさっさと中に入れ」
 しっしと虫を払うようにすると、一彰は聞こえないというふうに首を傾げた。その拍子に癖のある直毛が一房額に落ちた。静かに微笑んでいる。
 部屋に臭いをつけたくないから室内では煙草を出さない。身体にずっと臭いが残るのも嫌だから吸った後はすぐ風呂に入る。もちろん一彰に臭いが移るのも嫌だから彼の前ではなるべく吸わずにいたのに。
 灰皿の上で緩やかにくゆる紫煙に一彰が手を伸ばす。それを指で挟んでから咥えた。すっと息を吸ったが勢いがつきすぎて火種が大きくなった。ああ、こりゃ不味いだろうな、と即座に分かった。普段煙草を吸わないから当然の失敗だ。
「煙たい」
 一つ咳をして一彰は煙草をこちらに返した。そして室外機のコップに手を伸ばす。痛い目を見たほうがいいと思ったから注意してやらない。
「こっちは苦い」
「今のは事故だって見逃してやる。だから早く中に入って待ってろ」
 一彰からコップを取り上げて元の場所に置く。
「お酒も煙草もぼくには美味しくないけど大人はいろんなストレスの発散方法があっていいな。ぼくなんてランク戦かセックスくらいしかないのに」
「なんだ、おまえのほうが機嫌悪いのかよ」
 一彰がスツールに座ったままの俺を抱いた。ちょうど一彰の腹のあたりに俺の顔が当たる。手を伸ばして背中を抱く。薄いTシャツ一枚越しに彼の体温を感じた。そのまま下に掌を滑らせるとジャージパンツがあった。下着はつけていない。腰を撫でるとポケットに固い感触があった。彼はどんなときでもトリガーを手放さない。
「だって、今日は興味ない授業ばっかりだったし、個人ランク戦は負け越したし、何もいいことがなかったんだよ。そんなかわいそうな年下の恋人を甘やかしてやりたいと思うだろう」
 薄い掌が俺の頬を包んで上を向かせる。節が目立たないすべらかな指が顔面を辿る。俺の唇を見つけた一彰がこちらに屈み込んできた。口に人肌が触れる。唇の間を割った舌が独特の苦みを連れて入ってくる。
 彼の舌を噛むと、すぐに口の中から逃げていった。煙っぽいキスは不味い。
「ダメだ。部屋にヤニ持ち込みたくないからすぐシャワー浴びたい」
「じゃあお風呂場で」
 一彰が笑ってその振動が身体のあちこちに伝わる。体重をかけられてまたスツールがぐらついた。
 今度は額に口づけられた。一彰を押しのけてスマホを取り出した。
 四月三〇日、午後一一時二〇分。まだ夜更かしとは言えない時間だ。
 俺が立ち上がると身長差が逆転した。掃き出し窓の取っ手に指をかける。
 彼はいつも淡泊で一度したら満足するからこうして情熱的に求められるのは新鮮だった。だから高揚した。
 明日シーツを洗うのならこのままベッドに入るのも悪くない。そう思いながら一彰の手を取った。

   * * *

 玄関のドアを開けるとむわっとした熱気と湿気が流れ込んできた。嗅ぎ慣れた空気の中にいくらかの違和感。そして三和土に脱ぎ捨てられた他人の靴。
 デニムのポケットからスマホを取り出した。
 六月一五日、午後三時三〇分。日時が表示されるだけで他には何の通知も入っていない。
(連絡もしないで、どうしたんだ)
 リビングダイニングに入ると臭いはより強くなった。ダイニングテーブルを兼ねたワークデスクには空になった弁当や惣菜のパックがそのまま放置されていた。コップに注がれたワインは三分の一ほど残っていて、しかも瓶に栓をしていないせいで酒や食い滓の悪臭で満ちていた。自分の部屋ながら、ここにはいたくないと思う程度にはげんなりする光景だった。
 デスクの下に脱ぎ捨てられて皺がついた学生服を拾い上げる。鼻を近づけると思わず顔をしかめた。高校生には不似合いな異臭。湯を張ったバスタブに吊したら多少ましになるだろうから後で処理する。
 簡単に学生服を畳む。デスクの上のゴミを持ってキッチンに行くと、シンクにも物が置かれていた。
 彼に言いたいことが頭の中でどんどん膨らんでいくが、掃除が先だ。とりあえず換気扇をつけた。それだけでは空気の入れ換えが追いつかないので掃き出し窓をカーテンごと全開にした。
 ベランダを見ると、室外機の上に数本の吸い殻が灰皿に残っていた。巻紙はほとんど燃え尽きてチップペーパーしか見えない。俺はフィルターぎりぎりまで吸うようなことはしない。そもそも今日は可燃ゴミの日だから昨晩灰皿の掃除をしたのだ。
「あいつ……」
 片付けを後回しにしてベッドルームに駆け込むと、布団を頭まで被って蛹のようになっている一彰がいた。
「学校はどうした」
 布団を引っ張り上げると横向きに寝ている彼の背中が見えた。一八〇近い長身を丸めてもそれが縮むなんてことは全くない。
 一彰の肩に手をかけて揺らすと、ううんと悩ましげな声で呻いた。半乾きのままベッドに入ったのか、髪の毛はあちこちに飛び跳ねていつもの艶もない。手櫛を通してやるともぞもぞと身体を反転させてこちらを見上げた。目は赤くなり、瞼は腫れて、唇はすっかり乾燥していた。整った顔立ちが台無しだ。
「きみを見習ってお酒と煙草を飲んでお風呂に入って寝たけど全然よくないね。慣れたら変わるのかな」
 掠れた声には生気がない。俺がベッドの縁に座ると太腿のあたりに顔を寄せてきた。猫がするように額を擦りつけてくる。
「おい。学校は?」
「任務で疲れたから休んだ」
 夜間防衛任務明けの出席は任意だったと聞いているが、実際に彼が休むのを見たのは初めてだった。確かに前日学校で授業を受けて防衛任務に就いてまた学校に向かうというのは仮眠時間を考慮しても酷ではあるのだが。しかし一彰はそれをやってのける側の人間なのだと思っていた。何故なら出会ってから今までずっとそうしていたから。
「嫌なことでもあったのか?」
「……どうしてそう思うんだい?」
 質問に質問で返された。こんなに荒れた部屋や彼の様子を見て異変を疑わないほうがおかしい。
 彼は四つ年下だがしっかりしていてそつがなかった。合鍵を渡してからは俺が不在時も部屋に来ることがあったが、基本的に連絡があったし、散らかすこともなかった。それどころか場所代と言って律儀に金を置いていくこともあった。高校生から理由もなく金は受け取れないと一万円札を突き返すと、彼は笑って更にもう一枚俺に握らせた。「今後きみの物を勝手に使うかもしれないし、デート代を折半するのは面倒だから先払いしておくよ」というのが彼の弁。たまにこうして部屋で会うだけで、一緒に外を歩くことなんて滅多にないのに。
 いつもは年齢差を感じさせない落ち着いた物腰も、眠気や酔いのせいか随分鈍っていた。
「……、…………」
 一彰の唇がわなないた。適切な語彙が見つからないのか結局口をただ開いただけですぐに閉じた。じっと彼の挙動を眺めていると、一度こちらに目を合わせてからおずおずとベッドに手を置いた。人差し指でシーツに三角形を描く。
「家、ボーダー、学校を往復するばかりでぼくの生活は単調で、人間関係も閉じてて」
「……ああ」
 唐突な話題だったが好きに話させることにした。
「だから気分の切り替えが難しいんだよね」
「そうだな」
「でも実際問題が起こったわけじゃないから心配いらないよ。……単にぼくの気持ちの話」
 はあと溜め息をつく音が聞こえる。つまり何か悩んでいるらしいという、見たままのことだけしか分からなかった。
 一彰の学校はボーダー隊員が多い。確かに二つの組織で人間関係が繋がっている息苦しさは俺にも想像できた。
「おまえのストレス発散はランク戦とセックスなんだろ? ならちょうどいい相手がいるじゃないか」
 一彰に向かって身を乗り出して顔の横に手をついた。まだ赤みが残っている目がじっと俺を見上げている。
「今は男の人に抱かれたい気分じゃない」
「なんだ、俺が下手ってことか?」
「ぼくが不感症なのかもしれないね。それか女の子を抱くほうが性に合ってるのかも」
 一彰の手が俺の頬を滑る。全く欲を感じない愛撫だった。
「今日泊まらせてくれる?」
「ダメだ。親が心配するだろ。夜はちゃんと帰れ」
「それじゃあ別をあたろうかな。最近、きみより一つ上の女の人と知り合いになったんだよ。浮気してもいいんだ?」
「っていうかもうしてるだろ。何回寝たんだよ」
「それは内緒」
「ちょっとは否定しろ」
 つまらない掛け合いをしたところで観客などいないのだから虚しくなるだけだ。
 一彰の腕が俺の背中に回って抱きしめてくる。ぴたりと胸と胸が重なる。
「きみになら何でも言えるのにな……」
 耳元でそう囁かれた。色っぽく言われても酒と煙草の臭いで萎える。それに、都合のいい嘘をつかれたとなると気持ちまで冷める。
 一彰は俺にすっかり安心しきっている、というより油断している。その感情が信頼からくるものではないと分かっている。まともな恋愛をしている奴ならもっと落ち着きがないはずだ。自分が相手に好かれているか、相手が自分をどう思っているのか気にするのが普通だ。一彰は俺のことで舞い上がらないし空回りしない。いつも冷静だった。
 一彰が俺に恋人を紹介したのは嫉妬させようと試したのでもない。家にいさせてくれないなら別のところで泊まるという事実を述べただけなのだ。この関係が終わっても続いてもどうでもいいのだからそんなことが言える。
(そもそも俺たちはずっと一緒にいるつもりじゃないんだし)
 何があっても一緒に乗り越えるような強い団結ではなく、何かあったら適当なところで散り散りになって頃合いを見てからまたくっつく。そんな細くて弱い繋がりなのだ。互いの意志を確認しあって尊重して、と堅実な関係を築くよりなあなあで済ませたほうが気楽だ。
「きみはぼくが悪いことをしても何も言ってくれないね」
 そんなのお互い様だろ、と口をついて出そうになったがどうにかして噤んだ。酔っ払い相手にむきになるのは損だ。
 一彰が寂しそうに笑う。そんなに縋りつくようにされるとまるで好かれていると錯覚してしまう。
 一彰がボーダー隊員だと知ったのは肉体関係を持ってからだった。ボーダーのサイトを見ると確かに彼の名前があった。B級三位の弓場隊、攻撃手・王子一彰。
 三年B組のボーダー隊員では一彰が一番成績がいいこと。ミズカミングには将棋で勝ったことはなく、なんなら一彰が得意なチェスでも時々負けていること。ゾエには力が必要な競技で全く勝てないこと。一歳下の弧月使いを気に入っていること。狙撃銃のように射程のある武器を使った戦いより剣を交える接近戦が好きなこと。ポカリの影響で地元の縁日に行くようになったこと。アドリブよりもじっくり考えて部隊を動かすのが好きなこと。
 ボーダーや学校の出来事を語る彼の生活は充実しているように見えた。
 でも、こんなに長い時間を過ごせば分かる。彼は自分やその近しい人の話をしようとしない。
 B級上位部隊のエースはA級並の実力があるらしい。だから一彰はB級の中で腕が立つほうらしい。一彰は最近弓場隊から独立したらしい。そのとき仲間を一人連れ出したらしい。古巣の隊長とその友人の誕生日が一日違いだから四月三〇日に合同で誕生会を開くのが恒例になっているらしい。それは今年も盛り上がったらしい。
 これらは全部同期のゼミ生から聞いた話だった。エンジニアでもそんなに戦闘員のことに詳しいのかと感心したが、単に俺が一彰のことを知らなかっただけだった。その誕生会とやらの後で俺と会ってもそんな話は一切しなかった。むしろ機嫌が悪いとまで言っていた。
 久々にボーダーのサイトを確認すると本当に弓場隊の隊員は減っていて、そのかわり最下位に王子隊という新しい部隊が載っていた。結成日は五月一日。
 一彰が自分の部隊を持ったことすら時間が経って人伝に知った。彼が自分を語らないから彼のボーダーにおける立ち位置を想像できずにいた。彼が自分の核心に迫ることは話さないから当然のことだった。
 何について語るかではなく、何について言及しないかを見るほうが一彰の考えを想像できるようになった。俺がそう思っているだけで実際どうなのかは分からない。別に聞き出そうとも思わない。
 一彰の身体に触れる。スウェットのポケットには相変わらずトリガーホルダーが入っていた。布団の中でまで用心深いことだ。
「ヤケ酒するくらいなら泊まれ。ただ親にちゃんと連絡入れろ」
「ありがとう」
「ほら、まだ四時だから起きろ。俺もシャワー浴びるわ」
 俺はベッドから立ち上がった。一彰の腕を引っ張っても反応はなかった。気怠げに寝転んだままじいっと俺の顔を見つめている。
「ねえ。もし、きみ以外に好きな人がいるって言ったら怒る?」
「ついさっき新しい彼女の紹介されたとこで今更気にするわけあるか」
「なんだかそこまで許されると心が広いのを通り越して、逆に愛されてないみたいだ」
「酔っ払いの相手するのは疲れるからな。話し合いするなら正気に戻ってからだ」
 これ以上やりとりするのは面倒なので、一彰に布団を被せてベッドルームを出た。
 リビングダイニングに戻る。開けっぱなしの掃き出し窓から生温い風が吹いていた。ベランダに出ると夕焼けが目に染みる。梅雨晴れのおかげで空気は乾いていた。
 スツールに腰を下ろす。いつもの癖で室外機に手を伸ばすが吸い殻があるだけで煙草はない。酒も部屋の中だ。
 自分が落ち込んでいるときに警戒区域を見ると心が安らいだ。貴重な十代に学びもせず遊びもせず勝ち筋が見えない防衛だけに費やす奴らより俺のほうがましな境遇にいるという優越感があった。自分が守られる側の人間であっても、四年経ったら故郷に帰る俺は三門の客でしかない。
 一彰を知ってその気持ちはより強くなった。
 三日に一度の防衛任務。一年のほとんどの期間行われるBランク戦。それに加えて個人ランク戦での切磋琢磨。そんなことをやっていたら学業や私生活の両立なんて不可能なのは目に見えている。一彰にはさらに隊長という責任がのしかかっていた。
 三門にさえ生まれなければ、戦いの才能さえなければ、平穏に過ごせていた彼が弱音も吐けずに消耗するのを見るのが好きだった。
 一彰が俺を選んだのはボーダー隊員でも三門市立第一高校の関係者でもないという消去法によるものだということは彼の遍歴を見れば分かった。知られたくないことは隠せる、嘘をついても確かめる方法がないから都合がいい。
 俺も同じサークルやゼミ生と付き合いたいとは思わない。いずれ訪れる別れのことを考えると、自分と距離のある人を選びたいと思う。他人事だから浮気されようが軽んじられようが傷付くことはなく丸く収まる関係。
 一彰が俺を訪ねるのはランク戦のオフシーズンが多かった。ランク戦が始まると連絡もつかなくなることがあった。俺の部屋に来てまでランク戦の記録を確認して、時折思いつめている。口にしなくても何を大事にしているかなんて馬鹿でも分かる。
 三門の夜空を眺めるのと同じように一彰を見ていたはずだった。思ったより一彰に思い入れがあることを自覚する。そうなると、違った形でやり直せないかと考える。でもすぐに諦めてしまう。結果が実らない努力は無駄だ。
 どうでもいい男相手にすら泣きごとの一つも言わない潔癖な奴が、学校やボーダーのしがらみを断ち切ってまで己の恋を勝ち取ろうとするなんてあり得ないという確信があった。
 俺が一彰を手に入れられないかわりに、一彰も欲しいものを手に入れることができない。それで満足してやることにする。